フランス料理と脱水と酸辣湯
店主が初めてフランスで生活し出したのは1989年の頃だったと思います
それまでは浅学な店主には当然のことなのかもしれませんが、アメリカを含む英語圏志向が強く、店主なりに当時大阪にあったアメリカ領事館やカナダ領事館、オーストラリア領事館へ出向いては領事館の窓口で、その国で働けるための資格や資格取得の可能性、受け入れ先のリストなどを聞き合わせていた店主でしたが、なんの弾みか突然1989年の10月からフランスのパリで生活することになったのには、店主当人が一番びっくりすることとなりました
そのような訳で、先の「独り言」で書かせていただいたかとは思いますが、これにさまざまな偶然も重なり、パリ市の東部、バスティーユ広場とバンセンヌの森の中間とも言える12区のナシオン広場の近くのアパルトマンに住み始めることともなりました
パリに行くまではフランス語はもちろん初めて、フランスを含めヨーロッパの歴史や文化への知識にも乏しい、本当に情けない状態でのフランス事始めとなったわけです
ただ当初唯一絶対に問題にならないだろうと予感してたのは、フランス料理でしたが・・・・・
店主、子供の頃に両親が料理店を経営していたこともあり、食べ物大好きで、その後の大人への階段でも色々な国の料理に興味を持つと同時に、機会を見つけては日本にあるさまざまな国のレストラン等にも足を運んでおりました
中でも言い古された事柄ながら、中華料理とフランス料理には、その食材や調理法の多様性やその多彩な味わいに強く影響を受けながら生活をしていたことになります
そのようなわけで、フランスで生活をしていく上での最低必要となる、フランス料理が合わなくて困る・・・・ということはまずは起こるまい・・・と多寡を括っていたわけでした😙
が、皆さんの予想通りこれがそうではないことが分かるのに多くの時間はかかりませんでした(笑)
今回の独り言では、店主のリアルなフランス生活、中でも特に普段のフランス料理事始めについて独言る予定でしたが、いつものように店主の独り言前段が長く、すでに紙面が尽きようとしております
で、この続きは以降の独り言で少しづつ書き重ねていきたいと思っていますので、もしご興味のあるかたがいらっしゃいましたら引き続き「独り言」を覗いて頂けましたら嬉しいです
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